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ふしぎ@102
本文なし
すごいな
シャコ─
drかい縄文人のパワーにおののく
新鮮組軍中法度の中に、「敵見方強弱の批評一切停止の事。 付、奇矯妖怪不思議の説を申すべからず」という一文がある。この軍中法度は元治元年11月頃、第一次長州征伐に備え局中法度とは別に作成した規則。結局、新選組は長州征伐に参加しなかったけど。戦場での禁止事項を定めている中に怪談禁止とな?「天王寺に真木和泉の霊がぁっ!」「池田屋の前を通ったら、二階の窓から死んだはずの宮部鼎蔵が〜!」「ボク、粛正された人が見えるんですぅ」土方さんあたりがぶちキレて?「長州征伐の準備で忙しいというのに、こいつら怖い話ばっかりしやがって! これから怖い話した奴は切腹な!」かな?
へーえ 面白いネー
流派剣術は個と個との戦いが原則。新撰組隊士個々の強さもさることながら、狼集団で襲い確実に相手を仕留める。必ず複数での行動が原則。戦闘になった場合、まず一人が正面から斬りかかり、残る隊士は敵の背後や側面に回り込み、退路を断った後、四方八方から斬りつける。しかも隊長がとどめを刺し、死を確認した上で各々が剣を引く。これを「山攻撃破剣」と呼ぶ。そもそも新撰組の目的とは、反体制派の撲滅であり、相手を確実に捕縛、あるいは斬らなければならない。決闘ではないし、一対一の戦いなどをしていたら敵の逃走の恐れがある。「どんな場合でも、どんな手を使ってでも必ず勝たなければならない」という意味では、宮本武蔵の戦い方に似ている。武蔵はたとえ相手にどんなに卑怯と言われようと、必ず勝つ道を選んだ。新撰組の剣とは、一切の情けを持たない非常の刃だった。時代劇のように周りを囲んでも背後の人は立っているだけ、ということはなかった。
ちなみに池田屋事件における報奨金は『会津藩庁記録』と『新撰組隊長近藤勇以下三十名御手当之儀書上』に記録がある。それによると、近藤勇に金十両(別段金二十両)、土方歳三に金十両(別段金十三両)とある。沖田総司、永倉新八、藤堂平輔といったクラスは金十両(別段金十両)といったところ。一律の金十両は新身料(新しい刀の代金)で別段金は地位や働きに対する報酬。米価の変遷で一両の価値を照らし合わせると……江戸時代初期で10万円、中〜後期で3〜5万円、幕末頃には3〜4千円っといったところ。幕末、かけそば一杯16〜20文。現在のそばの値(500〜600円程度)を基準に計算すると、1文=31〜38円見当。1両=6000文として、186000円〜228000円。文化文政期の職人の手間賃は銀5匁4分。現在の日当を大まかに2万円〜3万円として換算すると、銀1匁=3700〜5555円。1両=銀60匁として、222000円〜333300円。*1文の価値は37〜55円とした場合
土方は、故郷・戸塚村に琴という美人で評判の三味線屋の娘の許婚がいた。当時の土方は江戸の奉公を首になって義兄のやっかいになる身で、親戚の勧めで琴との結婚話が進んだが「この天下の一大事に、何か事をなして名をあげるまでは、自分を自由の身にしおいてほしい」と訴え、琴は許婚ということになった。土方は二度、多摩に帰って来ていて、一度は琴の元へ立ち寄っている。京の土産数々を琴にもたらしたが、その後の琴の消息は不明である。「志れば迷ひ 志なければ迷はぬ恋の道」土方が京都に行く時にまとめた句、字余り。これが謎です。普通は"志らねば"で"志なければ"とは、現在進行形で恋している意味合いが強いのです。これって物凄い繊細な字余り句です。土方さん、本当に琴さんの事が好きだったんだと判ります。
前述のような繊細な句を読む土方さんですから、無神経なまでに女性を弄んで何の迷いもない芹沢や近藤らとは明らかに違うタイプで、山のような芸鼓集からの恋文が屯所に着ています。ところが、その土方をして「……報国の心を忘れる婦人かな」と、手紙に記しちゃったが、北野上七軒の舞妓"君菊"だ。佐藤俊宣(彦五郎&のぶの息子)の『聞き書き新撰組』に記録が残っています。近藤さんが派手に妾を囲ってたのに、土方さんは屯所に寝泊りして、時折こっそりと会いに行ってたようです。プレイボーイなんて評される土方さんだけど、その繊細で誠実な人柄に君菊も惚れちゃったのかな?彼女は歳三の子を宿し出産したが、土方の娘は幼なくして死亡している。*君菊は歳三との別離後、男性と結婚したが、明治18年に没している。 また、君菊の名は今でも舞妓名として継がれています。
京都で血生臭い事をしている新撰組の副長から"大事な届け物がある"と届け物あり。「歳さんからだって! いったい何だ? 何なんだよ?」と恐る恐る開けてみたら「やっべぇよぉ、みんなぁ! 京都行ったら、俺モテちまってしょうがないんだ。 もう国の為にどうたら働くのなんかどうでもいい気分になっちゃうよ! がちょーん。」って書いてあったら度肝抜かれるでしょ? それを読んだ古き友人や親族達は「鬼の副長って噂が江戸まで届いてるけど、歳さん、変わってないねぇ。ぎゃははは……。」と、故郷の皆さん、笑って安心する訳です。土方さんの故郷への思いやりですよ、これ。現在も保管されている手紙の数々は、おごりがなくとても誠実な内容ばかりです。京の都では名を馳せ、恐れられる鬼の副長も本当はとても優しい人だったのです。
妹の結婚式忘れるなよ、お前w